1952年ころの呉港(広島県呉市)
2008年現在の地図    グレーの場所は現在は埋め立ててあるが当時は海だった
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呉港
 

全写真の撮影者不明

@高官専用の豪華船。レジャー、パーティーに使用。 使用する際にはプロのシェフが乗船し、料理した。
  統制所はこの船の左にあった。

ABC「バージ」という、平底の舟。 石炭を積んでいる。

Dスクリュー2基のディーゼル機関装備。 乗組員12名。 ブリッジで機関の操作できるタグボート(曳船)。 タグボートは港内で、大きな艦船を押したり、引いたりした。 松山、大阪、広島、宮島等へ入港した。 艦船の乗組員のレクレーション用にも使用した。

E前後左右に移動できるタグボート。 ディーゼル機関装備。 当時としては珍しい艇。 総トン数は200トン位で、力が弱いのが弱点。

F〜Iこれらもタグボート。 F艇が一番強力で、総トン数は300トン以上。 現在の島回りのフェリー程度。 乗組員は15名程度だった。 他の艇もF艇と同じく、蒸気機関艇。 石炭を積み込むのは各乗務員で、重労働だった。 その積み込みの仕事をする民間人を「石炭ゴンゾー」と言い、門司、八幡、大阪港等で常時作業をしていて高額の賃金をもらっていた。 40トンクレーンのような石炭の取り入れ場が広い船ならクレーンを使い、手作業の必要はなかったが、取り入れ口の小さい船は手作業でしか積み込みはできなかった。 また、石炭の燃えカスも手作業で船底にある機関から運びださなくてはならない。 30cm×5m位の丈夫な足場を置き、前と後ろのモッコ(カゴ)に石炭を入れた天秤をかついで積み込んだ。 狭い足場の上をモッコをかついで渡るのは至難の業。 足場を踏みはずして海に落ちるのではないかと緊張の連続。 慣れない人のできる仕事ではない。 最もきつい仕事と言われていた。

Jこれに貨物などを積んで別の船で引いていく。 

K運貨船。 この船で物資を朝鮮半島まで運んだ。

Lディーゼル機関。 15トン。 乗員3名。 Mr.マッカーシー等の下士官の港内送迎用。 Mr.マッカーシーは昼食は司令部でとるので、朝昼夕の3回送迎した。

Mディーゼル機関。 高官専用の豪華船。

N〜Q艦船が入出港する際、艦船が出すロープを桟橋に運んだり、浮き(ブイ)に結ぶ仕事が主だった。 蒸気船で乗員5名。 蒸気船は常時、石炭を炊き、圧力を保持しておかなくてはならないので、乗組員は常に気を使っていた。

RSディーゼル機関。 乗員5名。 司令官、佐官、将官、艦長等の高官専用艇。 煙突、手すり等は真鍮製なので常に磨いておかなくてはならなかった。 潮風にさらされている海上に係留されているので、光沢は1日でなくなる。

その他 真ん中の高い山は灰ヶ峰と思われる。 写真左が川原石地区。 その右の方に両城地区がある。 高等女学校の寮があり、女学生はそこから海軍工廠に通っていた。 呉市内は、爆弾(焼夷弾)が多く投下され、焼けた。


    
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